2020年・6月分読書会 活動報告(2)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

今回は「2020年度・6月分読書会 活動報告(2)」ということで、読書会参加者(つるばみさん&秋山白さん)の読後感/参加後の感想を掲載したいと思います。

 

○つるばみさん(@kamus_lpzn)

【読後感】

川端康成の雪国の感想なんだけど、深淵を覗いているようで覗かれているような肌寒さを感じましたね。(読書会当日は)比喩がすごいとかいうアホ極まりない感想を述べていましたが、比喩から何を連想"させられるか"が大事なのではないかなと。

 比喩表現、特に暗喩を理解して汲みとれる人間からするとかなり情景としてありありと"浮かばされた"んだよ。"浮かべた"んじゃない。この本には強制力がある。読者様が一方的に読むものじゃなくて、高尚な技術で想像させる本だ。故に、心を覗かれているように感じる。主導権が本にある。

【参加後の感想】

本日の読書会で、初めて川端康成の本を読みました。特に地の文の表現が美しく、終始圧倒され続けていました。
 会の中で、心理描写の抽象的な部分について、複数の疑問点を言語化し話し合い、参加者の価値観や、その当時の男女間の人間関係や歴史的背景の理解につながりました。

 

○秋山白さん(@iJJVl6Gf8VdAh1T)

川端康成『雪国』感想

 まず、内容を知らずに読んだ『雪国』が色恋の話であったことに驚いた。しかしその内容に染まりきらないほど文章から澄んだ白さを感じた。次に初稿の出版から12年(たしか)たち、作品後半の「流れ星」と「火災」の場面を加筆して現在の『雪国』が完成したとこは衝撃であった。『雪国』は、現代からみれば長編とは言えない。そんな一つの作品に何年もかける精神力は並大抵のものではないと思う。
その他、読書会中に出た話題を以下にあげる。

・ガマガエルの鳴き声はことがおこる隠喩
・「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という冒頭で読者の心をつかむ。
ex「吾輩は猫である
・初稿『雪国』は戦前に書かれ、現在の『雪国』は戦後に書かれた。
・作中の鏡の描写は島村の間接的な生き方を反映したものか。
・作中にはあるのは、色or恋愛?
・ラストで島村と駒子が火災にあった葉子を目撃するが島村の気持ちが揺れているようには読めない。しかし島村は少し時間を経て、葉子の死を実感するのではないか?

 

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(画像は、田村茂『素顔の文士たち』河出書房新社、2019、P9⇒https://amzn.to/2rPmKdE

川端康成『雪国』(新潮文庫)⇒https://amzn.to/2MCSJos

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読書会の参加者の感想文を読んでいて改めて感じたのは、一冊の本を読み込むことの難しさである。自分の中ではあまり印象に残らなかった一文が、他の参加者においては重要なものとして捉えれていることは少なくない。例えば、直接的にではなく、間接的に登場人物の心情の変化を示している一文があったとして、そこに目が行かず、軽く流してしまったとしたら、小説全体の捉え方も変わってしまうだろう。

今回私は『雪国』の読書において、そのことを痛く感じた。深い理解に近づくためにも、やはり読書会は有意義である。

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以上で「2020年・6月分読書会 活動報告(2)」を終ります。

ご覧頂きありがとうございました。