10月分読書会 活動報告(3)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

先日、百萬遍知恩寺「秋の古本まつり」が無事終了しました。

今回は全日、お手伝いとして参加したため、あまり古本漁りをする余裕はありませんでしたが、近日中に「秋の古本まつりで購入した本」について、別のブログを書きたいと思っています。ぜひそちらの方もご覧頂ければありがたいです。

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今回は「10月分読書会 活動報告(3)」ということで、

そでさんの読書会参加後報告と、でででさんの課題図書&ブログ読後の感想を、以下に示します。

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そでさん(@nanamaru_8810)の読書会参加後の感想・意見↓

「本感想では、読書会中で本書に向けられた批判に対して応答することを通じ、読書会で本を読むことについて小さな考察を行おうと思う。

1.批判への応答
 今回は通読できず、開始直前までかけて流しつつ飛ばしつつ読んでの参加となった。自分はそれほど多く小説を読むことをしないけれど、それをどのように評価したものかが、毎回おのずと引っかかってくる。おそらく、二十数年生きてくるうちに何度も聞いてきた「この本は面白い/傑作だ/良い本だ/ためになる/感動する/勉強になる」などの言葉に乗せられてしまっているのだろう。
 だから、本書には「要らない言葉が多すぎる」という旨の評価が出てきた時は羨ましく思った。自分は、好意的に読むことを半ば自身に強いているからだ。今回も例外とはならず、この評価からの擁護に回った。
 僕が聞いたかぎりでは、それは、著者が描く本書の語り手である「わたし」の行う情景描写がくどいことの指摘であった。対して自分の行った擁護は、この過剰さには理由があるというものであった。
 それは、胎内という「わたし」が置かれている特異な観点にある。母親のお腹の中に居る胎児である「わたし」は、それにもかかわらず言葉を理解しており、胎内にまで届く刺激(音や栄養)を通じて外界の様子を「想像」している。本書の描写のほとんど全てが彼の視点から見えている(というのはもちろん比喩である)風景を表現したものだ。
 言語を絵の具とし、外界はモデルである。そして彼の心がキャンバスである。彼とこのモデルとは母体によって物理的に遮られているため、向こうからの刺激は母体越しに感受される。よって、彼にとってもっとも身近なのは、自分に生じる感覚(主に聴覚と触覚)およびアルコールなどによって変容を繰り返す「気分」、そして母親の状態である。これらは、彼の心の状態を作り出してもいるという意味で、半ば彼の心そのものであると言える。つまり、彼は、もし自分が外に居たらその瞳に映ったであろう風景を、言葉を用いて脳裏に描いている。
 したがって、彼が関心を向ける事柄の順序は次のようになるだろう。すなわち①自分自身のこと(感覚や「気分」、自分だけの関心事)、②母親に関係すること(母体の状態、母親の関心事と彼に思われる事柄など)、③それ以外である。また、後述するように、これらは彼の想像を形づくるカテゴリーでもある。
 彼には外界の状況を視界に収めることが叶わず、加えて世間の経験も欠けているのだから、③に分類される事柄の間の順序は、私たちの常識から推し量ろうとすれば混沌として見えることだろう。おそらく、このことが次のような少しばかり過剰な描写が成立する理由なのではないだろうか。「悪よりも古く、金剛石よりも硬い、全長九インチ野(くさび形をした歴史的なパルメザンチーズ」(51頁)。この塩分の固まりに彼の関心が向くのは母親がこれを欲しているからであろう。もしそうでなければ、これは③に分類されるはずだからである。彼の関心は多分に母親に依存している。
 ここで「悪」や「金剛石」など③に分類されるであろう他の事柄が一緒にイメージされてくるのは、③から「パルメザンチーズ」を取り出してくる過程で、これらが「古いもの」や「硬いもの」という共通項に絡みついていたがために芋づる式に連想されてきているのではないか。彼は、パルメザンチーズという物を見たことも食べたこともなく、言葉でしか知らない。それゆえに、「パルメザンチーズ」の日常的な意味を判明に認識して取り出すというよりは、何らかの秩序に基づいて無意識下に配列されている知識の連なりから輪郭の不鮮明な「パルメザンチーズ」(という語の意味)を、それに関連する非日常的な知識(「悪」や「金剛石」)もろとも強引にもぎ取ってきているのではないだろうか。ただし、もちろん純粋な③は思い浮かべられることはないはずだから、想像された③に分類される事柄は、多少なりとも①か②なのであろう。だからこの連想は無限には進行せずにどこかで打ち切られることになり、日常からすれば異形のパルメザンチーズが想像されることになる。つまり、実質①と②とが、世間を生きたことのない彼の関心や連想の順序を織り成す縦糸と横糸なのである。
 以上、本書の情景描写の過剰さは、(1)語り手である「わたし」は外界(とそこにある諸物)を見たことがなく、その日常的な相貌が明晰判明でないこと、(2)「わたし」の関心は①と②によって秩序づけられており、この意味では本書の描写は彼にとっては日常的であるイメージを表現していることを理由としていると論述してきた。私は、以上のような観点から、「要らない言葉が多すぎる」として本書を一刀両断するような評価は不当であると考える。

2.読書会で本を読むこと
 それにしても、なぜ私は「要らない言葉が多過ぎる」という評価を不当だと感じているのであろうか。おそらくその理由は、問題となっているような評価では、『憂鬱な10か月』というこの本自体を読んだとは言えないからであろう。以下、いくつかの部分に分けてこのような評価の限界を簡潔に説明する。
 第一に、このような評価を下すのであれば、該当する箇所が一箇所は提示されて然るべきである。しかし、それは示されなかった。具体的な例示がなければ、その評価が行っている理解(=読み方)を共有できる可能性が狭まらざるを得ない。
 第二に、「多すぎる」と評価するにあたっての基準が示されなかった。例えば、何と比較してどのような描写が「多すぎる」のかを知ることができなければ、こちらは相手の考えていることに近づくことができない。
 第三に、このような評価を通じて果たして何が言いたかった・考えたかったのかが明確には語られなかった。私は、今まで本読書会に参加してきた経験と本読書会のブログに記録されているようなレジュメの内容や感想文を通して、ここは課題に設定された本について「面白い/面白くない」という評価を共有することを第一義とする場ではないと考えている。そうではなくて、その段階に止まらずに、どのような箇所がそうなのか、あるいはその本がそう感じられるのはなぜなのだろうかということを「問い」として共有することの方を第一義としているのがこの読書会なのではないだろうか。つまり、「面白い/面白くない」だけに止まってしまうと、課題本への考察を通じての「問い」の共有をすることができない。
 加えて、「問い」の共有は、課題本それ自体についてか、あるいはその「問い」に取り組む私たち自身について考えを起こす機会を与えてくれる。それはまた、課題本となった本が参加者一人一人にとって意味あるものとなっていく過程である。読書会は、一冊の本に個々別々の意味が付与されていくことで、読者と本が個性を獲得していく場所である。

 

でででさん(@TTD_Dede)の課題図書&ブログ読後の感想↓

「(本ノ猪のレジュメについて)凡庸な感想で申し訳ないんですがとてもいい文章を書かれるんですね。自分の引っかかったところやほかの方に問いたいところを読みやすい形で文章にできているのがすごいなと思いました。
 内容についてなんですが、自分も猪さんの挙げられた出生前の胎児の自殺について思うところがあったのでそれをわかりやすい形で問にされてたのが個人的によかったです。自分は作中で主人公が目的達成のために自殺を選んだことに対して、死へのためらいが人生における蓄積の喪失と可能性の唾棄へのためらいであるとすれば成人に比してどちらの点においても死が目的達成のための選択肢として選びやすいものになるのかなどと一人で考えていました。対して猪さんは可能性の点について作品に沿って出生後の人生の(確定的な)悲惨さを条件づけて考えていたのがじぶんになかったものだなあと思いました。
 あとはこうは書きましたが読み物としてとても楽しかったのが良かったです。知的な胎児が独白し続けるスタイルが個人的にツボで小説の楽しさを改めて感じられました。」

⇒でででさんには、村上春樹アンダーグラウンド』を課題図書とした読書会(8月分)を開いた際に参加して頂きました。自分としては頑張って作ったレジュメに対して、初めて褒めて下さる方がでてきて大変嬉しく思っています。

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以上、「10月分読書会 活動報告(3)」を終ります。

ご覧頂きありがとうございました。

10月分読書会 活動報告(2)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

 私は、定期のバイトとともに、不定期の短期労働をしているのですが、その帰り道に本を読んだり、音楽を聴いたりするのが好きです。

 本を読むのは、主に帰りが電車やバスなどの交通機関を使う場合に限られ、歩いて帰る時には、二宮金次郎のように歩き読書をするわけにはいかないので、iPodを片手に音楽を聴きます。

 帰り道は、そのほとんどがビルとビルの間の路地を歩き、幾つかのコンビニを横目に家路に着きます。そうすると自然と、「この風景にあう曲は何だろう」と探究欲が湧いてきます。

 最近発見して、短期労働の帰り道にいつも聴いているのは、寺尾紗穂さんの「幼い二人」という曲(詳細は⇒https://amzn.to/2OSvn1K)。寺尾さんは、先日(10月14日)、『彗星の孤独』(スタンド・ブックス、2018、https://amzn.to/2SiLIuV)というエッセイ集を出され、帰り道の電車の中で楽しませて頂きました。

 ぜひみなさんも、寺尾さんの曲と文章に触れてみてください。

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今回は「10月分読書会 活動報告(2)」ということで、秋山白さん(@akiyamahaku)のレジュメ&感想文を、以下に掲載したいと思います。

レジュメ↓

感想文↓

 「今回読書会では、海外小説を初めて取り扱うということもあり、皆さんは翻訳特有の文章について指摘していた。自分は小説畑の人間なのできにもとめませんでしたが、翻訳小説を読みなれない人にとっては新鮮な文章に写るものだと思いました。」

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秋山白さんは、大学で民俗学を専攻し、小説家を目指している方で、結構西洋文学を読んでいる友人です。

今回も参加者の中で、きっちりと本を読了し、疑問点を中心にレジュメを纏めてくださいました。

レジュメの注目すべき点としては、小説家を目指していることもあり(感想文にもあるように)、「こういう風な設定に変えたら…」という指摘があった。特に「双子設定や人工授精の場合」はどうだろうか、という主張には、考えさせられる所があった。今回の『憂鬱な10か月』は、赤ちゃんが母親の胎内で一人頭を回転させ続ける話であったため、「もう一人赤ちゃんがいたら…」という想像を巡らすことは、大変楽しかったです。

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以上、「10月分読書会 活動報告(2)」を終ります。

ご覧頂きありがとうございました。

10月分読書会 活動報告(1)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

10月中旬を過ぎた京都は、朝と夜が寒く、昼が少し暑いという、バランスの良い(?)時節をむかえています。

「もう少し昼間が涼しくならないかなー」とか思っていたら、気づけば12月、みたいなことになっている危険性があるので、もう少し10月を楽しみたいと思います。

個人的な宣伝となりますが、

京都の百萬遍知恩寺で10/31~11/4の期間開催される「秋の古本まつり」にて、

「本の留学」という企画を行なっています。

詳しくは⇒https://mobile.twitter.com/honnoinosisi555/status/1051325847448088576をご覧ください!

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今回は「10月分読書会 活動報告(1)」ということで、拙者(@honnoinosisi555)のレジュメと感想文を掲載したいと思います。

レジュメ↓

感想文↓

「先日、10月22日(日)に、無事読書会を開催し終えた。今回の読書会は、ほとんどが一度は参加したことのあるメンバーで構成されていたこともあり、気軽にゆったりと本について話すことができたと思っている。

 読書会終了後には、来月から参加予定の方とスカイプを繋げて、お互いに自己紹介をした。Twitterのアカウント名で呼び合うのが通例になっているため、自己紹介のときに飛び交う名前には、いつ聞いても不思議な気持ちになる。有に一年以上付き合っている人間の本名を知らない、という現実は、もう慣れてしまったけれど、改めて考えてみるとやはり驚くべきことであると思う。

 今回の課題図書(イアン・マキューアン著、村松潔訳『憂鬱な10か月』新潮社、2018)は私が推薦したわけですが、その理由については上記掲載のレジュメを見て頂けるとありがたい。私がここで述べたいのは、読書会を通して感じた「違和感」についてである。

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 課題図書に関する感想を、大雑把に二つに分けるとしたら、以下のようになると私には思えた。

①表現に凝っているところがあって面白い(控え目にいえば「嫌いではない」)。

②表現がくどいから面白くない(控え目にいえば「好きではない」)。

 ①も②も、個人個人の「感性」によって生まれた意見で、そこに特にいちゃもんを付けようとは思わないが、ただこの意見「だけ」で課題図書への思考をストップしてしまうのは、いかがなものかというのが、自分の素直な気持ちであった。

 本読書会の活動方針としては、「ある課題図書に向き合うとき、そこから出来る限り積極的・肯定的な部分(面白いところ、考えさせられるところ)を見出して、参加者同士で意見交換する」ことにしている。よって、「わたしはこの本が嫌い」だけで終わってしまうのは、「読書会」の良さを捨象している風に思えてならない。

 小説を課題図書にすると、どうしても「面白い/面白くない」に重点が置かれがちな傾向があるので、今後も小説で読書会を開くためにも、参加者の方には配慮を頂ければありがたいです。

 よろしくお願いいたします。」

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いまのところ、11月分の読書会も、通常通り11月の下旬頃開催予定です。

上の「感想文」のところで偉そうなことを言っていますが、基本「読書会」を通じて、本の話や日常の話を一緒にできる仲間ができたことは、自分の生きる糧になっています。このブログを見て下さっている方で、「仲間になってやってもいい」という方がもしいらっしゃれば、ぜひ、ぜひ、読書会に参加して頂けると嬉しいです。

心から、お待ちしています!

それでは以上で「10月分読書会 活動報告(1)」を終ります。

ご覧頂きありがとうございました。

9月分読書会 活動報告(3)& 10月分読書会について

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

私事ですが、最近パソコンが壊れてしまい、ブログを更新するのが難しい状況にあります。今回はスマホを使って更新することにしますが、慣れていないため、短く纏めて終わることにします。申訳ございません。

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今回はまず、「9月分読書会 活動報告(3)ということで、

K.さん(@kei__sui)のレジュメと感想文(今回はレジュメ中にある)を掲載します。

レジュメ↓

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それでは次に、10月分読書会についてお知らせします。

【9月分読書会】

・課題図書:イアン・マキューアン著、村松潔訳『憂鬱な10か月』(新潮社、2018)

・開催日:10月某日

・開催場所:京都某所

・参加方法:直接参加orSkype参加

(詳しくはTwitterDMでご連絡ください! 参加者は常に募集中です!)

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以上で、「9月分読書会 活動報告(3)& 10月分読書会について」を終ります。

ご覧いただきありがとうございました。

 

9月分読書会 活動報告(2)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

 

時間が経つのがはやい。気付けば、もう10月。

つい先日、「夏が終わったー」とかなんとか言っていた気がするのに。

私にとっての10月は、「古本まつり」の月。

大阪や京都を駆け巡り、沢山のお金を落とす。

「お金に余裕がないのに、何をやっているんだ俺は」

と思うときもあるが、古本まつりは心の安定剤、栄養ドリンクである。

みなさんは、10月をどのように過ごすでしょうか?

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今回は「9月分読書会 活動報告(2)」ということで、悠々さん(@yuu_yuu_ziteki_)のレジュメと感想文を以下に掲載したいと思います。

レジュメ↓

感想文↓

「今回は殆どがSkype参加ということでしたが、それでも多く集まって読書会が出来たのは嬉しいことです。今回初めてレジュメを書かせて頂きましたが、書いてて楽しく、また理解も深まったので情報をアウトプットするのは大事だなと思いました。本の内容は難しかったですが、やはりこのメンバーで語るとそれなりに理解出来た気がします。それでも理解出来てないところの方が多いのだとも思いますが…。また次の読書会が楽しみです」

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 今回、悠々さんは、『人間の条件』を各章ごとに区切りながら、発表をしてくれました。

 例えば、「活動的生活」の要素である、「労働」「仕事」「活動」について、それぞれ本文中の言葉や具体例(例:雌の働きバチ、生殖機能をもつ雄バチ、女王バチ)を駆使して説明した後、「こんな理解で大丈夫ですかね?」と読書会の参加者に訊ねる。そしてその問いかけに対して、参加者が「私も同じ風に理解しました」「ここはこういう風にも解釈できるんじゃない?」と答える。これを丁寧に繰り返すことによって、とても深い考察をすることができました。

 また、レジュメ中、ぜひみなさんと共有したいメッセージがあります。

よければ Twitterのフォローお願いします。猪さんのブログでこのレジュメを読んでくれた方でも、読書会の参加者の方でも歓迎です。

  悠々さん(@yuu_yuu_ziteki_)のフォローをお願いします。

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以上で、「9月分読書会 活動報告(2)」を終ります。

ご覧頂きありがとうございました。

9月分読書会 活動報告(1)

 みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

 9月分の読書会は、9月30日、思いっきり台風が京都に直撃している中、行いました。

「行いました」とは言っても、読書会の会場は当日使えないことになり、

電車は止まって、実際に参加できる人は、開催場所に自転車で行ける距離に住んでいる自分とあと一人だけでした。

 他の方には、Skypeで参加して頂くことになりましたが、想像以上のスカイプ参加と参加者への連絡の不具合など、問題が重なり、スムーズに読書会を進行することができませんでした。まことに申し訳ございません。

 台風に怒り・恨みをぶつけても仕方がないのですが、大切にしている読書会をあっさりと潰してしまう力には驚かされます。

「これ以上、台風はくるな」と心から願います。

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今回は、「9月分読書会 活動報告(1)」ということで、ゆずとそでさん(@nanamaru_8810)のレジュメと感想文を以下に掲載します。

レジュメ↓

感想文↓

「今回の読書会は、台風で電車が停まってしまったので、Skypeからの参加者の方が多い読書会となった。最初の頃は僕1人だったSkypeでの参加が、いつの間にか当たり前のように選べる選択肢となっていて、何だか少し感慨深かった。
 今回の読書会で印象に残ったのは、「出来るなら100 歳以上生きたいですか?」と問われたことだ。僕は、自分が40歳まで生きれると思っていなかったのでなんだか不意を突かれた気分になった。自分が身を投げ入れて本を読んでいない気がしたからだ。最後にそのように本を読んだのはいつだったろうか?
 そんなことを思っていた後日、読書会をやったという話を某SNSでしたら、ある人から、アカデミックな読書会だと有力な解釈が定まってしまっていて「自由闊達」な読みが実行できないという話を振られた。アカデミックな読書会なるものを知りもしない自分は、この「自由闊達」さの意味を尋ねてみたかったのだけど、なんだか恥ずかしくて躊躇ってしまい、結局尋ねずにやり取りを打ち切った。
 ところで、この読書会は、ある本の内容についての有力な解釈の検討会ではない。かと言って何でもありなわけでもない。今まで参加してきて思うのは、この読書会では、ある本についての有力な解釈を練り上げることが主役にはならないということだ。少なくとも、それが主役になるとしてもかなり稀なことだろう。理由は、この読書会に参加してくれる人は、僕も含めて、ある本についての有力な解釈を得ることだけを目的としているわけでもなければ、それを最優先の目的にしていない人が多いと感じるからだ。(実際にそうであるかは、各人に確認を取ってみないことにはなんとも言えないので、僕がそうであることと、僕にそう感じられることをとりあえずの裏付けとしてほしく思う。)
 しかし、それぞれの置かれた状況から選ばれた本を精確に読もうとすることは、参加者全員に共有されている態度であると感じる。この読書会があからさまにデタラメな読みを許容してしまう会にならないのは、この態度がそれぞれの立っている観点を超えて共有されているからではないだろうか?。」

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 ゆずとそでさん(@nanamaru_8810)は、私が読書会を始めてから、ほぼ毎回参加してくださっている古参メンバーである。いつでもテキストを忠実に読み込み、かつ、参加者がどのような意見をいっても、肯定的な態度をもって接する姿勢は、本当に頼りになる。いつもありがとう。

 レジュメ内で、このブログを見てくださっている方に、ぜひ読んで頂きたいのが「何故本書を推薦したか」である。その一部を以下に引用する。

大学を終えて、結局本を読むことくらいしか自分には残らなかったし、今やってることはその延長線上にある。本を読むのは苦しいが楽しい。できれば、このような苦しいけど楽しいことを通じて自分の問いに取り組みたい。そんな気持ちがある。本職でやってる研究者の皆様方からすればお遊びに過ぎないかもしれないが、そんな遊びが、それに参加する人たちにとってどのような意味を放ち輝き出てくることか。
 この読書会に出会わなければ、僕は読書を通じて他人と直接的に交流をすることは望めなかっただろうなあ。そう思いながら今回推薦する本を見繕ったときに手に取ったのが『人間の条件』であった。

 私はこの箇所に、強く共感する。私も大学での学びで得られたことは、ずば抜けた専門性でも、柔軟な社交性でもなく、「本を読むことの楽しさ」であった。そして、その「楽しさ」を同じく共感できる人間が、地球上のどこかに(大げさだが)存在していると信じて、読書会への参加を少しずつ呼びかけてきた。その結果、私はゆずとそでさんに出会えたし、他の読書会参加者の方にも出会えた。彼等とは、産れた場所も、通っていた学校も、所属する機関も、何一つ共通点を持たない中で、唯一「本を読むことの楽しさ」を知っているという一点で繫がることができた。こんな素晴らしい出会いが、他にあるだろうか。

 読書会で色々な本を取り上げていると、時折「専門的に学んでもいないのに、よく選べましたね」や「誤読することになりますよ」といった否定的な意見を頂くことがある。勿論おっしゃる気持ちも分らないでもないが、専門的な知識をもって本を読むことよりも、全員で本を読んできて意見を交換し、交流を生み出していくことの方が、自分の開いている読書会のコンセプトには合致していると考えている。ゆずとそでさんの発言では「本職でやってる研究者の皆様方からすればお遊びに過ぎないかもしれないが、そんな遊びが、それに参加する人たちにとってどのような意味を放ち輝き出てくることか。」が、私の上記の意見に該当する部分であると思う。この姿勢を、大事にしていきたい。

 レジュメ本文では、「生命」という概念に注目して「労働」を考えた。

 参加者の共感を生んでいた箇所としては、

 だが、私たちを「労働」へと駆り立てる「生活の必要物」は何も肉体に関するものばかりとは限らない。「世界」を前提とした観点から見れば、「世界」の維持・保全のための「労働」がありうるからである。例えば掃除がよい例である。アーレントによれば、「世界」のために払われる努力は、私たちにとって「苦痛」である。「それが情容赦なく反復しなければならないものである」(156頁)ゆえに。

 があげられる。

 私は何度か、会社ビルの清掃員として、労働に従事したことがある。短期バイトの身であったため、一日だけで「清掃員」の職とはおさらばすることになったが、「自分と同じように、明日以降もここで掃除する人がいるのか…」と考えると、頭の奥がツーンと痛くなり、眩暈を覚えた。何度だってビルは汚れていき、そのたびに清掃員が汗を流す。ここに発生する「賃金」を思うとき、何だか空しくなった。

 以上の他にも、レジュメには様々な分析、問題提起がなされいるので、ぜひご覧頂ければと思います。

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以上、「9月分読書会 活動報告(1)」を終ります。

読書会の参加者は常に募集中です。少しでも気になれば、

本ノ猪(@honnoinosisi555)

の方に連絡を頂けると嬉しいです。

ご覧頂きありがとうございました。

9月分読書会について

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

 

9月4日に日本に上陸した台風21号

及び

9月6日に発生した北海道地震

この立て続く災害で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 

私は上記の期間中、故郷・九州に帰り、(恥ずかしくも)のんびりと休暇を楽しんでいました。報道番組で、知り合いが多く住む大阪・京都などでの台風被害や、北海道地震によって奪われる命、壊される原風景を目の当たりにしたとき、胸が強く締め付けられる思いがしました。

「このような状況下で、悠長に「読書会」なんて開いていいのか?」

と自問自答を繰り返しました。

 

考え抜いた結果、

「「読書会」を普通に開催できることの“意味”を考える」

という前提のもと、

9月期も「読書会」を開くことに決めました。

参加して頂く方々には、(勝手に決めた)上記の前提を共有してもらえると有難いです。よろしくお願い致します。

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それでは以下より、9月分読書会についてお知らせします。

【9月分読書会】

課題図書:ハンナ・アレント著、志水速雄訳『人間の条件』(ちくま学芸文庫、1994年)

当日までに読んでくる箇所

プロローグ
第一章 人間の条件
1 〈活動的生活〉と人間の条件
2 〈活動的生活〉という用語
3 永遠対不死

第二章 公的領域と私的領域
4 人間ーー社会的または政治的動物
5 ポリスと家族
6 社会的なるものの勃興
7 公的領域ーー共通なるもの
8 私的領域ーー財産
9 社会的なるものと私的なるもの
10 人間的活動力の場所

第三章 労働
11 「わが肉体の労働とわが手の仕事」
12 世界の物的性格
13 労働と生命
14 労働と繁殖力
15 財産の私的性格と富
16 仕事の道具と労働の分業
17 消費者社会

開催日:9月下旬

開催場所:京都某所

参加方法:直接参加orSkype参加

(詳しくはTwitterDMでご連絡ください! 参加者は常に募集中です!)

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Amazonでチェック⇒人間の条件 (ちくま学芸文庫)

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 以上、「9月分読書会について」を終わります。

お読み頂きありがとうございました。