8月分読書会 活動報告(2)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

ここ数日、京都の朝と夜は「涼しくなってきたかなー」と思える程、快適でした。

「はやくも夏が終わって、秋の到来かー」と物思いにふけっていたら、

汗が出る出る。

朝と夜の暑さがまたぶり返してきました。気を抜かずに、熱中症対策には徹したいと思います。みなさんもお気をつけください。

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今回は「8月分読書会 活動報告(2)」ということで、

本ノ猪(@honnoinosisi555、拙者)のレジュメと感想文を、以下に掲載したいと思います。

 

感想文↓

「今回の読書会は、急遽京都での開催が難しくなり、大阪で行いました。「京都での開催が難しい」ことが分かったのは、開催日の3日前で、「これは開催延期かな…」と頭を悩ましていると、「それなら!」と参加者の一人が、大阪で代わりとなる場所を見つけてくださり、無事読書会を開催することができました。本当に感謝してもしきれません、ありがたい。

 いつもは自分の使い慣れた場所に、参加者が集まってくるという流れを取っているため、他の参加者とともに電車に乗って、見知らぬ開催場所に向かうという経験は、何だか新鮮でした。たまにはこういう経験をすることも大切なように思います。

 読書会自体については、いつも通り議論も盛り上がり、楽しいものとなりました。ただ反省点としては、どうしても一部の人が話しすぎる(特に私…)状況があり、自身の意見が言いずらい空気がしばしばありました。Skypeで参加している人もいることから、積極的に話を回す配慮をしなければ、直接参加している人よりも議論に加わりにくい状態があります。充分に反省して、次回以降の読書会では改善していきたいです。」

 

 レジュメの内容は、主に「8月分読書会 プログラム」「①なぜ、この本を課題図書に選んだのか。」「②参加者全員で考えてみたいこと(設定テーマ)」の三つに分けることができる。今回の読書会では、②の設定テーマを一つの軸として、議論を進めていった。

 私が議論を進めていて、一番強く感じたのは「世代間ギャップ」であった。私は20代前半で、オウム真理教が事件の発覚により勢力を失う時点に生を受けた。そのため、直接的にオウム真理教と関わる機会は無かった。それは10~30代で構成される読書会参加者に共通して言えることであったと思う。ただ、「オウム真理教についてどれだけ知っているか」については、明らかな差があった。10代の参加者はオウム真理教地下鉄サリン事件を起こしたことは知っていたが、それ以外にも事件を起こしていたとは知らなかった」と語っていた。このことは、かなり私にとって驚きであった。また、私と同じ20代前半の参加者は、オウム真理教について知った情報媒体として「テレビ」をあげていたのに対して、10代は「インターネット」と答えていた。これも「世代間ギャップ」を象徴的に示していると言える。「自分もあまり若くないんだな」と改めて自覚させられた読書会であった。ただ、これもいい経験である。

 現在、一部の社会学者は「いまの若者には、オウム真理教のような団体に対する免疫がない。これは由々しき事態だ」と主張している。このことを「馬鹿馬鹿しい」と一蹴するのは容易いが、その行為は決して有意義でない。今回、10~30代の若者が集まって、「オウム真理教」や「地下鉄サリン事件」などについて議論したことは、「免疫」や「抗体」を生み出すほどの成果はないにしても、大変意義深いものであったと考える。ほんとうに、村上春樹アンダーグラウンド』で読書会を開催できてよかった。

 

以上、「8月分読書会 活動報告(2)」を終わります。

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(課題図書読了後及び読書会終了後の参加者の声)

○K.さん(@kei__sui)

「作品の中で特に読み直したのは「目印のない悪夢」の箇所である。
オウム真理教及び事件に関与した人々を「彼ら」と呼ぶとする。正義と悪、正気と狂気、健常と奇形の、明白な二項対立に当てはめ、彼らと自分を「あちら側」と「こちら側」に分断して片付けるということは、その境目を一歩超えたとき、いとも簡単に自らがあちら側にいけてしまうということに他ならない。さらに言うと、私たちが意識しなければならないのは、世の中に「あちら」と「こちら」が存在していて、私たちも「あちら」に行ってしまうかもしれない、とゆう事ではなく、私たちの考えている「あちら」と「こちら」自体がもしかしたら何かの拍子で「そっくりそのまま入れ替わりうる」とゆう事実ではないだろうか。一度入れ替わってしまえば、それは本人にとってまごう事なき「こちら」、真実そのものなのだから疑いようがない。だとすれば、私たちが「こちら」信者であればあるほどに、1歩立場が違えば帰る場所を見失ってしまう危険性は高まるのかもしれない。」

 

「自分はオウム真理教の死刑執行の報道のあり方について疑問を抱いており、今回その事についても自分には無い考えや新たな知識を聞くことが出来て、議論の幅も広く、大変有意義で楽しかったです。参加者の方には自分の意見をはっきりと述べられる方が多く、自分も今後見習っていきたいなと思いました。ありがとうございました。」