10月分読書会 活動報告(1)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

10月中旬を過ぎた京都は、朝と夜が寒く、昼が少し暑いという、バランスの良い(?)時節をむかえています。

「もう少し昼間が涼しくならないかなー」とか思っていたら、気づけば12月、みたいなことになっている危険性があるので、もう少し10月を楽しみたいと思います。

個人的な宣伝となりますが、

京都の百萬遍知恩寺で10/31~11/4の期間開催される「秋の古本まつり」にて、

「本の留学」という企画を行なっています。

詳しくは⇒https://mobile.twitter.com/honnoinosisi555/status/1051325847448088576をご覧ください!

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今回は「10月分読書会 活動報告(1)」ということで、拙者(@honnoinosisi555)のレジュメと感想文を掲載したいと思います。

レジュメ↓

感想文↓

「先日、10月22日(日)に、無事読書会を開催し終えた。今回の読書会は、ほとんどが一度は参加したことのあるメンバーで構成されていたこともあり、気軽にゆったりと本について話すことができたと思っている。

 読書会終了後には、来月から参加予定の方とスカイプを繋げて、お互いに自己紹介をした。Twitterのアカウント名で呼び合うのが通例になっているため、自己紹介のときに飛び交う名前には、いつ聞いても不思議な気持ちになる。有に一年以上付き合っている人間の本名を知らない、という現実は、もう慣れてしまったけれど、改めて考えてみるとやはり驚くべきことであると思う。

 今回の課題図書(イアン・マキューアン著、村松潔訳『憂鬱な10か月』新潮社、2018)は私が推薦したわけですが、その理由については上記掲載のレジュメを見て頂けるとありがたい。私がここで述べたいのは、読書会を通して感じた「違和感」についてである。

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 課題図書に関する感想を、大雑把に二つに分けるとしたら、以下のようになると私には思えた。

①表現に凝っているところがあって面白い(控え目にいえば「嫌いではない」)。

②表現がくどいから面白くない(控え目にいえば「好きではない」)。

 ①も②も、個人個人の「感性」によって生まれた意見で、そこに特にいちゃもんを付けようとは思わないが、ただこの意見「だけ」で課題図書への思考をストップしてしまうのは、いかがなものかというのが、自分の素直な気持ちであった。

 本読書会の活動方針としては、「ある課題図書に向き合うとき、そこから出来る限り積極的・肯定的な部分(面白いところ、考えさせられるところ)を見出して、参加者同士で意見交換する」ことにしている。よって、「わたしはこの本が嫌い」だけで終わってしまうのは、「読書会」の良さを捨象している風に思えてならない。

 小説を課題図書にすると、どうしても「面白い/面白くない」に重点が置かれがちな傾向があるので、今後も小説で読書会を開くためにも、参加者の方には配慮を頂ければありがたいです。

 よろしくお願いいたします。」

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いまのところ、11月分の読書会も、通常通り11月の下旬頃開催予定です。

上の「感想文」のところで偉そうなことを言っていますが、基本「読書会」を通じて、本の話や日常の話を一緒にできる仲間ができたことは、自分の生きる糧になっています。このブログを見て下さっている方で、「仲間になってやってもいい」という方がもしいらっしゃれば、ぜひ、ぜひ、読書会に参加して頂けると嬉しいです。

心から、お待ちしています!

それでは以上で「10月分読書会 活動報告(1)」を終ります。

ご覧頂きありがとうございました。

9月分読書会 活動報告(3)& 10月分読書会について

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

私事ですが、最近パソコンが壊れてしまい、ブログを更新するのが難しい状況にあります。今回はスマホを使って更新することにしますが、慣れていないため、短く纏めて終わることにします。申訳ございません。

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今回はまず、「9月分読書会 活動報告(3)ということで、

K.さん(@kei__sui)のレジュメと感想文(今回はレジュメ中にある)を掲載します。

レジュメ↓

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それでは次に、10月分読書会についてお知らせします。

【9月分読書会】

・課題図書:イアン・マキューアン著、村松潔訳『憂鬱な10か月』(新潮社、2018)

・開催日:10月某日

・開催場所:京都某所

・参加方法:直接参加orSkype参加

(詳しくはTwitterDMでご連絡ください! 参加者は常に募集中です!)

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以上で、「9月分読書会 活動報告(3)& 10月分読書会について」を終ります。

ご覧いただきありがとうございました。

 

9月分読書会 活動報告(2)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

 

時間が経つのがはやい。気付けば、もう10月。

つい先日、「夏が終わったー」とかなんとか言っていた気がするのに。

私にとっての10月は、「古本まつり」の月。

大阪や京都を駆け巡り、沢山のお金を落とす。

「お金に余裕がないのに、何をやっているんだ俺は」

と思うときもあるが、古本まつりは心の安定剤、栄養ドリンクである。

みなさんは、10月をどのように過ごすでしょうか?

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今回は「9月分読書会 活動報告(2)」ということで、悠々さん(@yuu_yuu_ziteki_)のレジュメと感想文を以下に掲載したいと思います。

レジュメ↓

感想文↓

「今回は殆どがSkype参加ということでしたが、それでも多く集まって読書会が出来たのは嬉しいことです。今回初めてレジュメを書かせて頂きましたが、書いてて楽しく、また理解も深まったので情報をアウトプットするのは大事だなと思いました。本の内容は難しかったですが、やはりこのメンバーで語るとそれなりに理解出来た気がします。それでも理解出来てないところの方が多いのだとも思いますが…。また次の読書会が楽しみです」

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 今回、悠々さんは、『人間の条件』を各章ごとに区切りながら、発表をしてくれました。

 例えば、「活動的生活」の要素である、「労働」「仕事」「活動」について、それぞれ本文中の言葉や具体例(例:雌の働きバチ、生殖機能をもつ雄バチ、女王バチ)を駆使して説明した後、「こんな理解で大丈夫ですかね?」と読書会の参加者に訊ねる。そしてその問いかけに対して、参加者が「私も同じ風に理解しました」「ここはこういう風にも解釈できるんじゃない?」と答える。これを丁寧に繰り返すことによって、とても深い考察をすることができました。

 また、レジュメ中、ぜひみなさんと共有したいメッセージがあります。

よければ Twitterのフォローお願いします。猪さんのブログでこのレジュメを読んでくれた方でも、読書会の参加者の方でも歓迎です。

  悠々さん(@yuu_yuu_ziteki_)のフォローをお願いします。

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以上で、「9月分読書会 活動報告(2)」を終ります。

ご覧頂きありがとうございました。

9月分読書会 活動報告(1)

 みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

 9月分の読書会は、9月30日、思いっきり台風が京都に直撃している中、行いました。

「行いました」とは言っても、読書会の会場は当日使えないことになり、

電車は止まって、実際に参加できる人は、開催場所に自転車で行ける距離に住んでいる自分とあと一人だけでした。

 他の方には、Skypeで参加して頂くことになりましたが、想像以上のスカイプ参加と参加者への連絡の不具合など、問題が重なり、スムーズに読書会を進行することができませんでした。まことに申し訳ございません。

 台風に怒り・恨みをぶつけても仕方がないのですが、大切にしている読書会をあっさりと潰してしまう力には驚かされます。

「これ以上、台風はくるな」と心から願います。

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今回は、「9月分読書会 活動報告(1)」ということで、ゆずとそでさん(@nanamaru_8810)のレジュメと感想文を以下に掲載します。

レジュメ↓

感想文↓

「今回の読書会は、台風で電車が停まってしまったので、Skypeからの参加者の方が多い読書会となった。最初の頃は僕1人だったSkypeでの参加が、いつの間にか当たり前のように選べる選択肢となっていて、何だか少し感慨深かった。
 今回の読書会で印象に残ったのは、「出来るなら100 歳以上生きたいですか?」と問われたことだ。僕は、自分が40歳まで生きれると思っていなかったのでなんだか不意を突かれた気分になった。自分が身を投げ入れて本を読んでいない気がしたからだ。最後にそのように本を読んだのはいつだったろうか?
 そんなことを思っていた後日、読書会をやったという話を某SNSでしたら、ある人から、アカデミックな読書会だと有力な解釈が定まってしまっていて「自由闊達」な読みが実行できないという話を振られた。アカデミックな読書会なるものを知りもしない自分は、この「自由闊達」さの意味を尋ねてみたかったのだけど、なんだか恥ずかしくて躊躇ってしまい、結局尋ねずにやり取りを打ち切った。
 ところで、この読書会は、ある本の内容についての有力な解釈の検討会ではない。かと言って何でもありなわけでもない。今まで参加してきて思うのは、この読書会では、ある本についての有力な解釈を練り上げることが主役にはならないということだ。少なくとも、それが主役になるとしてもかなり稀なことだろう。理由は、この読書会に参加してくれる人は、僕も含めて、ある本についての有力な解釈を得ることだけを目的としているわけでもなければ、それを最優先の目的にしていない人が多いと感じるからだ。(実際にそうであるかは、各人に確認を取ってみないことにはなんとも言えないので、僕がそうであることと、僕にそう感じられることをとりあえずの裏付けとしてほしく思う。)
 しかし、それぞれの置かれた状況から選ばれた本を精確に読もうとすることは、参加者全員に共有されている態度であると感じる。この読書会があからさまにデタラメな読みを許容してしまう会にならないのは、この態度がそれぞれの立っている観点を超えて共有されているからではないだろうか?。」

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 ゆずとそでさん(@nanamaru_8810)は、私が読書会を始めてから、ほぼ毎回参加してくださっている古参メンバーである。いつでもテキストを忠実に読み込み、かつ、参加者がどのような意見をいっても、肯定的な態度をもって接する姿勢は、本当に頼りになる。いつもありがとう。

 レジュメ内で、このブログを見てくださっている方に、ぜひ読んで頂きたいのが「何故本書を推薦したか」である。その一部を以下に引用する。

大学を終えて、結局本を読むことくらいしか自分には残らなかったし、今やってることはその延長線上にある。本を読むのは苦しいが楽しい。できれば、このような苦しいけど楽しいことを通じて自分の問いに取り組みたい。そんな気持ちがある。本職でやってる研究者の皆様方からすればお遊びに過ぎないかもしれないが、そんな遊びが、それに参加する人たちにとってどのような意味を放ち輝き出てくることか。
 この読書会に出会わなければ、僕は読書を通じて他人と直接的に交流をすることは望めなかっただろうなあ。そう思いながら今回推薦する本を見繕ったときに手に取ったのが『人間の条件』であった。

 私はこの箇所に、強く共感する。私も大学での学びで得られたことは、ずば抜けた専門性でも、柔軟な社交性でもなく、「本を読むことの楽しさ」であった。そして、その「楽しさ」を同じく共感できる人間が、地球上のどこかに(大げさだが)存在していると信じて、読書会への参加を少しずつ呼びかけてきた。その結果、私はゆずとそでさんに出会えたし、他の読書会参加者の方にも出会えた。彼等とは、産れた場所も、通っていた学校も、所属する機関も、何一つ共通点を持たない中で、唯一「本を読むことの楽しさ」を知っているという一点で繫がることができた。こんな素晴らしい出会いが、他にあるだろうか。

 読書会で色々な本を取り上げていると、時折「専門的に学んでもいないのに、よく選べましたね」や「誤読することになりますよ」といった否定的な意見を頂くことがある。勿論おっしゃる気持ちも分らないでもないが、専門的な知識をもって本を読むことよりも、全員で本を読んできて意見を交換し、交流を生み出していくことの方が、自分の開いている読書会のコンセプトには合致していると考えている。ゆずとそでさんの発言では「本職でやってる研究者の皆様方からすればお遊びに過ぎないかもしれないが、そんな遊びが、それに参加する人たちにとってどのような意味を放ち輝き出てくることか。」が、私の上記の意見に該当する部分であると思う。この姿勢を、大事にしていきたい。

 レジュメ本文では、「生命」という概念に注目して「労働」を考えた。

 参加者の共感を生んでいた箇所としては、

 だが、私たちを「労働」へと駆り立てる「生活の必要物」は何も肉体に関するものばかりとは限らない。「世界」を前提とした観点から見れば、「世界」の維持・保全のための「労働」がありうるからである。例えば掃除がよい例である。アーレントによれば、「世界」のために払われる努力は、私たちにとって「苦痛」である。「それが情容赦なく反復しなければならないものである」(156頁)ゆえに。

 があげられる。

 私は何度か、会社ビルの清掃員として、労働に従事したことがある。短期バイトの身であったため、一日だけで「清掃員」の職とはおさらばすることになったが、「自分と同じように、明日以降もここで掃除する人がいるのか…」と考えると、頭の奥がツーンと痛くなり、眩暈を覚えた。何度だってビルは汚れていき、そのたびに清掃員が汗を流す。ここに発生する「賃金」を思うとき、何だか空しくなった。

 以上の他にも、レジュメには様々な分析、問題提起がなされいるので、ぜひご覧頂ければと思います。

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以上、「9月分読書会 活動報告(1)」を終ります。

読書会の参加者は常に募集中です。少しでも気になれば、

本ノ猪(@honnoinosisi555)

の方に連絡を頂けると嬉しいです。

ご覧頂きありがとうございました。

9月分読書会について

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

 

9月4日に日本に上陸した台風21号

及び

9月6日に発生した北海道地震

この立て続く災害で被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 

私は上記の期間中、故郷・九州に帰り、(恥ずかしくも)のんびりと休暇を楽しんでいました。報道番組で、知り合いが多く住む大阪・京都などでの台風被害や、北海道地震によって奪われる命、壊される原風景を目の当たりにしたとき、胸が強く締め付けられる思いがしました。

「このような状況下で、悠長に「読書会」なんて開いていいのか?」

と自問自答を繰り返しました。

 

考え抜いた結果、

「「読書会」を普通に開催できることの“意味”を考える」

という前提のもと、

9月期も「読書会」を開くことに決めました。

参加して頂く方々には、(勝手に決めた)上記の前提を共有してもらえると有難いです。よろしくお願い致します。

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それでは以下より、9月分読書会についてお知らせします。

【9月分読書会】

課題図書:ハンナ・アレント著、志水速雄訳『人間の条件』(ちくま学芸文庫、1994年)

当日までに読んでくる箇所

プロローグ
第一章 人間の条件
1 〈活動的生活〉と人間の条件
2 〈活動的生活〉という用語
3 永遠対不死

第二章 公的領域と私的領域
4 人間ーー社会的または政治的動物
5 ポリスと家族
6 社会的なるものの勃興
7 公的領域ーー共通なるもの
8 私的領域ーー財産
9 社会的なるものと私的なるもの
10 人間的活動力の場所

第三章 労働
11 「わが肉体の労働とわが手の仕事」
12 世界の物的性格
13 労働と生命
14 労働と繁殖力
15 財産の私的性格と富
16 仕事の道具と労働の分業
17 消費者社会

開催日:9月下旬

開催場所:京都某所

参加方法:直接参加orSkype参加

(詳しくはTwitterDMでご連絡ください! 参加者は常に募集中です!)

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Amazonでチェック⇒人間の条件 (ちくま学芸文庫)

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 以上、「9月分読書会について」を終わります。

お読み頂きありがとうございました。

8月分読書会 活動報告(2)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

ここ数日、京都の朝と夜は「涼しくなってきたかなー」と思える程、快適でした。

「はやくも夏が終わって、秋の到来かー」と物思いにふけっていたら、

汗が出る出る。

朝と夜の暑さがまたぶり返してきました。気を抜かずに、熱中症対策には徹したいと思います。みなさんもお気をつけください。

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今回は「8月分読書会 活動報告(2)」ということで、

本ノ猪(@honnoinosisi555、拙者)のレジュメと感想文を、以下に掲載したいと思います。

 

感想文↓

「今回の読書会は、急遽京都での開催が難しくなり、大阪で行いました。「京都での開催が難しい」ことが分かったのは、開催日の3日前で、「これは開催延期かな…」と頭を悩ましていると、「それなら!」と参加者の一人が、大阪で代わりとなる場所を見つけてくださり、無事読書会を開催することができました。本当に感謝してもしきれません、ありがたい。

 いつもは自分の使い慣れた場所に、参加者が集まってくるという流れを取っているため、他の参加者とともに電車に乗って、見知らぬ開催場所に向かうという経験は、何だか新鮮でした。たまにはこういう経験をすることも大切なように思います。

 読書会自体については、いつも通り議論も盛り上がり、楽しいものとなりました。ただ反省点としては、どうしても一部の人が話しすぎる(特に私…)状況があり、自身の意見が言いずらい空気がしばしばありました。Skypeで参加している人もいることから、積極的に話を回す配慮をしなければ、直接参加している人よりも議論に加わりにくい状態があります。充分に反省して、次回以降の読書会では改善していきたいです。」

 

 レジュメの内容は、主に「8月分読書会 プログラム」「①なぜ、この本を課題図書に選んだのか。」「②参加者全員で考えてみたいこと(設定テーマ)」の三つに分けることができる。今回の読書会では、②の設定テーマを一つの軸として、議論を進めていった。

 私が議論を進めていて、一番強く感じたのは「世代間ギャップ」であった。私は20代前半で、オウム真理教が事件の発覚により勢力を失う時点に生を受けた。そのため、直接的にオウム真理教と関わる機会は無かった。それは10~30代で構成される読書会参加者に共通して言えることであったと思う。ただ、「オウム真理教についてどれだけ知っているか」については、明らかな差があった。10代の参加者はオウム真理教地下鉄サリン事件を起こしたことは知っていたが、それ以外にも事件を起こしていたとは知らなかった」と語っていた。このことは、かなり私にとって驚きであった。また、私と同じ20代前半の参加者は、オウム真理教について知った情報媒体として「テレビ」をあげていたのに対して、10代は「インターネット」と答えていた。これも「世代間ギャップ」を象徴的に示していると言える。「自分もあまり若くないんだな」と改めて自覚させられた読書会であった。ただ、これもいい経験である。

 現在、一部の社会学者は「いまの若者には、オウム真理教のような団体に対する免疫がない。これは由々しき事態だ」と主張している。このことを「馬鹿馬鹿しい」と一蹴するのは容易いが、その行為は決して有意義でない。今回、10~30代の若者が集まって、「オウム真理教」や「地下鉄サリン事件」などについて議論したことは、「免疫」や「抗体」を生み出すほどの成果はないにしても、大変意義深いものであったと考える。ほんとうに、村上春樹アンダーグラウンド』で読書会を開催できてよかった。

 

以上、「8月分読書会 活動報告(2)」を終わります。

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(課題図書読了後及び読書会終了後の参加者の声)

○K.さん(@kei__sui)

「作品の中で特に読み直したのは「目印のない悪夢」の箇所である。
オウム真理教及び事件に関与した人々を「彼ら」と呼ぶとする。正義と悪、正気と狂気、健常と奇形の、明白な二項対立に当てはめ、彼らと自分を「あちら側」と「こちら側」に分断して片付けるということは、その境目を一歩超えたとき、いとも簡単に自らがあちら側にいけてしまうということに他ならない。さらに言うと、私たちが意識しなければならないのは、世の中に「あちら」と「こちら」が存在していて、私たちも「あちら」に行ってしまうかもしれない、とゆう事ではなく、私たちの考えている「あちら」と「こちら」自体がもしかしたら何かの拍子で「そっくりそのまま入れ替わりうる」とゆう事実ではないだろうか。一度入れ替わってしまえば、それは本人にとってまごう事なき「こちら」、真実そのものなのだから疑いようがない。だとすれば、私たちが「こちら」信者であればあるほどに、1歩立場が違えば帰る場所を見失ってしまう危険性は高まるのかもしれない。」

 

「自分はオウム真理教の死刑執行の報道のあり方について疑問を抱いており、今回その事についても自分には無い考えや新たな知識を聞くことが出来て、議論の幅も広く、大変有意義で楽しかったです。参加者の方には自分の意見をはっきりと述べられる方が多く、自分も今後見習っていきたいなと思いました。ありがとうございました。」

8月分読書会 活動報告(1)

みなさん、こんにちは、本ノ猪です。

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最近、もんじゃを食べにいきました。

いつ食べにいったのか。

それは、先日(8月19日)に開催した読書会終了後の懇親会でです。

懇親会参加者は5人だったのですが、私以外の4人の姿を見ていて、感じたことが幾つかありました。

自分たちのテーブルに焼きそばが運ばれてくるたびに、綺麗に5人分、皿に分けていく人。

少し疲れていた私に、「大丈夫ですか?」を声を掛けてくれた人。

場の雰囲気が常に明るくなるように、会話を絶やさない人。

もんじゃの配分を常に考えている人。

自分を除く4人が、常に何かしらの役割を果たすことによって、それによって頗る楽しい懇親会となった。

私はもんじゃやお好み焼き、焼きそばの味に感動するとともに、読書会メンバーの優しさや気づかいにも感動した。

ここのメンバー全員が、Twitterがなければ出会うことがなかった。

何だか面白い世の中である。

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今回は「8月分読書会 活動報告(1)」ということで、

今月の課題図書であった、村上春樹アンダーグラウンド』を推薦してくださった

つるばみさん(@thurubami_ramu)のレジュメ&感想文を以下に示したいと思います。

(レジュメ内容一部訂正⇒誤@thurubami_ramau⇒正@thurubami_ramu)

感想文↓

「本日も初見さんがいっぱいいました!
毎回割と暗い話題が多いのにみんなそれなりにワイワイしているのはいつも楽しいです。」

 

今回、つるばみさんは、村上春樹とその文学やオウム真理教の問題について、包み隠さず本心を発表してくださいました。

レジュメを見ながら「過激やなー」と不安になるところもある一方で、

今回 アングラ(引用者注:『アンダーグラウンド』の略)を電車内で読んでいたんですけれど、体調を崩しました。

 という一文には、今回の課題図書が示した話題の重さが生々しく表われていたと言えます。

 そうは言いつつも、やはりつるばみさんのレジュメには「!?」と思える記述が多数含まれていました。それが読書会の議論を盛り上げたという部分もあるので、なかなか評価は難しいのですが。

 結論、大変面白かったです(*´ω`)

 

以上、「8月分読書会 活動報告(1)」を終わります。

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(課題図書読了後及び読書会終了後の参加者の声)

○悠々さん(@yuu_yuu_ziteki_)

「まず読了出来ていないのが申し訳ないが、とりあえず全部読了出来た人はあまりいないようだったので正直少し安心した。村上春樹を読んだのは初めてだが、イメージしてた「村上春樹らしさ」は薄かったように思った(実際、村上春樹を読んできた人達の話を聞いてもその印象に間違いはなかったようだ)。個々の話に対する感想はさておくとして、村上春樹の取材に対する姿勢だとか、真摯に事実のみにフォーカスを当てようとした姿勢には素直に感心した。読書会でもマスコミ批判の流れで「事件をエンターテインメントとして扱っている」というくだりがあったが、この本は本であるということそのものに付随するエンターテインメント性を超えた脚色をして余計な盛り上げをしなかった事がこの本の価値であり、一部の人が本当に求めていた情報が詰まっていると思う。」

 

「結論から言うととても楽しかった。ただ、「村上春樹らしさ」とか「宗教」とか「マスコミの報道姿勢」だとか、個々の話題が掘り下げ易いものが複数あり、その個々に関して時間の都合で掘り下げきれなかった消化不良感のようなものは少しあった。それぞれのテーマに関してまた改めて触れる機会があればいいと思っている。改めて思ったのが、堅苦し過ぎないという点でこの読書会は素晴らしい場所だと思う。終わったあとに食べたもんじゃも美味しかった。因みにあれが人生初もんじゃだった。」

 

○でででさん(@TTD_Dede)

「初めての読書会で不安な部分もありましたが、自分が考えもしなかったような着眼点を知れたり普段関わることもない人の世界の話が聞けたりとても新鮮な体験ができました。
次回以降の読書会もぜひとも参加・発言をさせてもらいたいと思っています。ありがとうございました。」