2019年度・1月分読書会 活動報告(1)
みなさん、こんにちは、本ノ猪です。
2019年の1月も残りわずかとなりました。
ついこの前、「新年あけましておめでとうございます」と挨拶したように感じますが、時間が流れるのははやいものです。
京都ではここ数日、雪が降っていました。
部屋の中で、外で雪が降っているのを横目で感じながら、取り組む読書というのは格別のものがあります。
みなさんは、いかがでしょうか?
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今回は「2019年度・1月分読書会 活動報告(1)」ということで、課題図書・三島由紀夫『絹と明察』(⇒https://amzn.to/2G8foqQ)の推薦者である炭山 韓国読書会さん(@kingtyrano)のレジュメと感想文を、以下に掲載します。
レジュメ↓
感想文↓
「ちょっと難しい作品でしたが、最後まで読めてよかったです。
あの頃と今とは変わっているのか、それとも何も変わってないまま、新しい文化が入ってくる度に揺れ動いているままなのか。
60年近く前の小説ですが、そのメッセージが全く色褪せないのは、少なくとも我々の中身だけは昔と変わらずか弱いままだからなのではないかと思っています。
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炭山さんは、韓国に在住し、多くの日本文学に嗜んでおられる方で、その中でも「三島由紀夫文学」に関しては、深い意見を持っておられます。
発表では、『絹の明察』のストーリーに込められた意図をはじめ、他の三島文学と比べての特異性や、文学全体における「三島由紀夫」の位置などについて語られていました。
どの指摘も大変興味深いもので、特に『絹と明察』に登場する駒沢善次郎社長を「天皇」、彼が経営する駒沢紡績会社を「日本」、そこで働く社員を「臣民」と捉えると、何が見えてくるかという指摘は、『絹と明察』を単に「経営者対労働者」物語として捉える以上に、作品に価値を見出すことができるように思いました。
そこで議論になったのが、もしも駒沢社長を、戦前期の「天皇」として捉えたとすると、社員の実情に目を向けなかった(とされる)駒沢社長のあり方への批判的描写は、そのまま「天皇が臣民の実情を直視していなかった」ということへの言及に繫がることになる。この点をどう捉えるべきなのか。
三島由紀夫は安易に「天皇主義者」として支持されることが多い傾向がある中で、この『絹と明察』は「戦前の天皇と臣民の関係性に、批判を加えた」作品として読み直すことができるのではないか。
大変面白い議論をすることができたように思います。
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以上で、「2019年度・1月分読書会 活動報告(1)」を終ります。
ご覧いただきありがとうございました。