8月分読書会 活動報告(2)
みなさん、こんにちは、本ノ猪です。
ここ数日、京都の朝と夜は「涼しくなってきたかなー」と思える程、快適でした。
「はやくも夏が終わって、秋の到来かー」と物思いにふけっていたら、
汗が出る出る。
朝と夜の暑さがまたぶり返してきました。気を抜かずに、熱中症対策には徹したいと思います。みなさんもお気をつけください。
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今回は「8月分読書会 活動報告(2)」ということで、
本ノ猪(@honnoinosisi555、拙者)のレジュメと感想文を、以下に掲載したいと思います。
感想文↓
「今回の読書会は、急遽京都での開催が難しくなり、大阪で行いました。「京都での開催が難しい」ことが分かったのは、開催日の3日前で、「これは開催延期かな…」と頭を悩ましていると、「それなら!」と参加者の一人が、大阪で代わりとなる場所を見つけてくださり、無事読書会を開催することができました。本当に感謝してもしきれません、ありがたい。
いつもは自分の使い慣れた場所に、参加者が集まってくるという流れを取っているため、他の参加者とともに電車に乗って、見知らぬ開催場所に向かうという経験は、何だか新鮮でした。たまにはこういう経験をすることも大切なように思います。
読書会自体については、いつも通り議論も盛り上がり、楽しいものとなりました。ただ反省点としては、どうしても一部の人が話しすぎる(特に私…)状況があり、自身の意見が言いずらい空気がしばしばありました。Skypeで参加している人もいることから、積極的に話を回す配慮をしなければ、直接参加している人よりも議論に加わりにくい状態があります。充分に反省して、次回以降の読書会では改善していきたいです。」
レジュメの内容は、主に「8月分読書会 プログラム」「①なぜ、この本を課題図書に選んだのか。」「②参加者全員で考えてみたいこと(設定テーマ)」の三つに分けることができる。今回の読書会では、②の設定テーマを一つの軸として、議論を進めていった。
私が議論を進めていて、一番強く感じたのは「世代間ギャップ」であった。私は20代前半で、オウム真理教が事件の発覚により勢力を失う時点に生を受けた。そのため、直接的にオウム真理教と関わる機会は無かった。それは10~30代で構成される読書会参加者に共通して言えることであったと思う。ただ、「オウム真理教についてどれだけ知っているか」については、明らかな差があった。10代の参加者は「オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたことは知っていたが、それ以外にも事件を起こしていたとは知らなかった」と語っていた。このことは、かなり私にとって驚きであった。また、私と同じ20代前半の参加者は、オウム真理教について知った情報媒体として「テレビ」をあげていたのに対して、10代は「インターネット」と答えていた。これも「世代間ギャップ」を象徴的に示していると言える。「自分もあまり若くないんだな」と改めて自覚させられた読書会であった。ただ、これもいい経験である。
現在、一部の社会学者は「いまの若者には、オウム真理教のような団体に対する免疫がない。これは由々しき事態だ」と主張している。このことを「馬鹿馬鹿しい」と一蹴するのは容易いが、その行為は決して有意義でない。今回、10~30代の若者が集まって、「オウム真理教」や「地下鉄サリン事件」などについて議論したことは、「免疫」や「抗体」を生み出すほどの成果はないにしても、大変意義深いものであったと考える。ほんとうに、村上春樹『アンダーグラウンド』で読書会を開催できてよかった。
以上、「8月分読書会 活動報告(2)」を終わります。
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(課題図書読了後及び読書会終了後の参加者の声)
○K.さん(@kei__sui)
「作品の中で特に読み直したのは「目印のない悪夢」の箇所である。
オウム真理教及び事件に関与した人々を「彼ら」と呼ぶとする。正義と悪、正気と狂気、健常と奇形の、明白な二項対立に当てはめ、彼らと自分を「あちら側」と「こちら側」に分断して片付けるということは、その境目を一歩超えたとき、いとも簡単に自らがあちら側にいけてしまうということに他ならない。さらに言うと、私たちが意識しなければならないのは、世の中に「あちら」と「こちら」が存在していて、私たちも「あちら」に行ってしまうかもしれない、とゆう事ではなく、私たちの考えている「あちら」と「こちら」自体がもしかしたら何かの拍子で「そっくりそのまま入れ替わりうる」とゆう事実ではないだろうか。一度入れ替わってしまえば、それは本人にとってまごう事なき「こちら」、真実そのものなのだから疑いようがない。だとすれば、私たちが「こちら」信者であればあるほどに、1歩立場が違えば帰る場所を見失ってしまう危険性は高まるのかもしれない。」
「自分はオウム真理教の死刑執行の報道のあり方について疑問を抱いており、今回その事についても自分には無い考えや新たな知識を聞くことが出来て、議論の幅も広く、大変有意義で楽しかったです。参加者の方には自分の意見をはっきりと述べられる方が多く、自分も今後見習っていきたいなと思いました。ありがとうございました。」
8月分読書会 活動報告(1)
みなさん、こんにちは、本ノ猪です。
最近、もんじゃを食べにいきました。
いつ食べにいったのか。
それは、先日(8月19日)に開催した読書会終了後の懇親会でです。
懇親会参加者は5人だったのですが、私以外の4人の姿を見ていて、感じたことが幾つかありました。
自分たちのテーブルに焼きそばが運ばれてくるたびに、綺麗に5人分、皿に分けていく人。
少し疲れていた私に、「大丈夫ですか?」を声を掛けてくれた人。
場の雰囲気が常に明るくなるように、会話を絶やさない人。
もんじゃの配分を常に考えている人。
自分を除く4人が、常に何かしらの役割を果たすことによって、それによって頗る楽しい懇親会となった。
私はもんじゃやお好み焼き、焼きそばの味に感動するとともに、読書会メンバーの優しさや気づかいにも感動した。
ここのメンバー全員が、Twitterがなければ出会うことがなかった。
何だか面白い世の中である。
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今回は「8月分読書会 活動報告(1)」ということで、
今月の課題図書であった、村上春樹『アンダーグラウンド』を推薦してくださった
つるばみさん(@thurubami_ramu)のレジュメ&感想文を以下に示したいと思います。
(レジュメ内容一部訂正⇒誤@thurubami_ramau⇒正@thurubami_ramu)
感想文↓
「本日も初見さんがいっぱいいました!
毎回割と暗い話題が多いのにみんなそれなりにワイワイしているのはいつも楽しいです。」
今回、つるばみさんは、村上春樹とその文学やオウム真理教の問題について、包み隠さず本心を発表してくださいました。
レジュメを見ながら「過激やなー」と不安になるところもある一方で、
今回 アングラ(引用者注:『アンダーグラウンド』の略)を電車内で読んでいたんですけれど、体調を崩しました。
という一文には、今回の課題図書が示した話題の重さが生々しく表われていたと言えます。
そうは言いつつも、やはりつるばみさんのレジュメには「!?」と思える記述が多数含まれていました。それが読書会の議論を盛り上げたという部分もあるので、なかなか評価は難しいのですが。
結論、大変面白かったです(*´ω`)
以上、「8月分読書会 活動報告(1)」を終わります。
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(課題図書読了後及び読書会終了後の参加者の声)
○悠々さん(@yuu_yuu_ziteki_)
「まず読了出来ていないのが申し訳ないが、とりあえず全部読了出来た人はあまりいないようだったので正直少し安心した。村上春樹を読んだのは初めてだが、イメージしてた「村上春樹らしさ」は薄かったように思った(実際、村上春樹を読んできた人達の話を聞いてもその印象に間違いはなかったようだ)。個々の話に対する感想はさておくとして、村上春樹の取材に対する姿勢だとか、真摯に事実のみにフォーカスを当てようとした姿勢には素直に感心した。読書会でもマスコミ批判の流れで「事件をエンターテインメントとして扱っている」というくだりがあったが、この本は本であるということそのものに付随するエンターテインメント性を超えた脚色をして余計な盛り上げをしなかった事がこの本の価値であり、一部の人が本当に求めていた情報が詰まっていると思う。」
「結論から言うととても楽しかった。ただ、「村上春樹らしさ」とか「宗教」とか「マスコミの報道姿勢」だとか、個々の話題が掘り下げ易いものが複数あり、その個々に関して時間の都合で掘り下げきれなかった消化不良感のようなものは少しあった。それぞれのテーマに関してまた改めて触れる機会があればいいと思っている。改めて思ったのが、堅苦し過ぎないという点でこの読書会は素晴らしい場所だと思う。終わったあとに食べたもんじゃも美味しかった。因みにあれが人生初もんじゃだった。」
○でででさん(@TTD_Dede)
「初めての読書会で不安な部分もありましたが、自分が考えもしなかったような着眼点を知れたり普段関わることもない人の世界の話が聞けたりとても新鮮な体験ができました。
次回以降の読書会もぜひとも参加・発言をさせてもらいたいと思っています。ありがとうございました。」
8月分読書会について
みなさん、こんにちは、本ノ猪です。
8月も中盤にさしかかり、暑い日々が続いていますが、
それでも7月よりはよっぽど過ごしやすいというのが正直なところです。
現在(本ブログ執筆時)、京都では「下鴨納涼古本まつり」が開催され、自分も微力ながらスタッフとして参加させて頂いています。
テントの下で団扇をあおぎながら、古本まつりに足を運ぶ人々の様子を見ていると、老若男女あらゆる世代の姿が見て取れ、とても嬉しい気持ちになる。
小さい子どもを連れた若夫婦が、児童書コーナーで本を何冊か購入し、催し物・紙芝居を見ている光景は、ほのぼのとしていた。
また、各書店の陳列棚に、まだビニールシートがかけられている時間帯から、すでに足を運んで、古書店店主達と挨拶を交わす常連の姿も、象徴的だった。
下鴨納涼古本まつりは、色々な人の手に支えられて成立している。
開催期間は、8/11~8/16、ぜひお時間のある方は、お越しください!
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それでは以下より、8月分読書会についてお知らせします。
【8月分読書会】
・課題図書:村上春樹『アンダーグラウンド』(講談社、1997)
・開催日:8月某日
・開催場所:京都某所
・参加方法:直接参加orSkype参加
(詳しくはTwitterDMでご連絡ください)
(本文より引用↓)
「人々の語る話にしばらくのあいだ耳を傾けていただきたいと思う。
いや、その前に、まず想像していただきたい。
ときは一九九五年三月二〇日、月曜日。気持ちよく晴れ上がった初春の朝だ。また風は冷たく、道を行く人々はみんなコートを着ている。昨日は日曜日、明日は春分の日でおやすみ――つまり連休の谷間だ。あるいはあなたは「できたら今日くらいは休みたかったな」と考えているかもしれない。でも残念ながらいろんな事情で、あなたは休みをとることはできなかった。
だからあなたはいつもの時間に目を覚まし、顔を洗い、朝食をとり、洋服を着て駅に向かう。そしていつものように混んだ電車に乗って会社に行く。それは何の変哲もない、いつもどおりの朝だった。見分けのつかない、人生の中のただの一日だった。
変装した五人の男たちが、グラインダーで尖らせた傘の先を、奇妙な液体の入ったビニールバックに突き立てるまでは……。」(P28)
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以上で「8月分読書会について」を終わります。
7月分読書会 活動報告(2)
みなさん、こんにちは、本ノ猪です。
時が流れるのは早いもので、もう8月になってしまいました。
(齢を重ねるたびに、時間の経過が早くなっていっているように感じます…)
京都は相変わらず蒸し暑く、知り合いのお家では、続く猛暑が要因となってか、蟻が大量発生しているようです。
私の生活には起伏がないため、友人・知人の経験談を耳にすることで、僅かに社会の変化を感じています。(あっという間に8月も終わると思うので、何か行動しなければ…)
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今回は「7月分読書会 活動報告(2)ということで、
読書会常連の[ゆずとそで]さん(@nanamaru_8810)のレジュメと感想文を掲載します。
感想文↓
「今回、僕はおバイトがあったので最後までいることができませんでした。なので、自分の発表とその後の質疑応答の体験を中心とした感想を書きます。
まず発表ですが、何と言うか、今までの会で一番疾走感のあるものになってしまいました。13分くらいで4000文字と少しを呪文のように、途中からアクセントがちぐはぐになりながら読み上げていくのは、聴いている方にしてみればとても辛かったと思います。自分の上がってしまいがちな性格を差し引いても、準備不足と自制の足りなさが嫌でも自覚されました。今度は無理矢理にでも発表の仕様を整えて来ます。そんな中で覚えているのは、画面の向こうのみんなが頷いてくれていたことです。自分の話が通じているという手応えがあることは、やはり発表者を安心させ、元気づけてくれます。自分はマイナス思考が得意な方の人間(子どものころ車内で独り親の帰りを待っていると、何か黒い人がやって来るみたいなありもしない胸騒ぎに襲われて、戸締まりの確認を行い後部座席の床に身を隠すことをすることが習慣だったりした人間)なのでより一層嬉しかったです。
次に質疑応答です。皆さんすすっと次々に、自身が疑問に思うことを投げかけてくださり発表者冥利に尽きました。内容は、発表後の熱も冷めやらなかったということもあり、これまた早口(しかも身振り付き)での応答となってしまいましたが。あれで応答となっていたか心配になったので、追加の質問等ある方はいつでもTwitterアカウントの方にとお願いしました。連絡先を教える敷居が低い(ような気がする)のはSNSの利点ですね。
他方、はぐらかしてしまった場面もあります。レジュメの内容を内在的に超えた質問は、考慮しなければならないことが多いために、その場では肯定とも否定とも答えがたいものです(でもそういう質問を引き出せたことが嬉しい!)。
実は、今回はその点についてだけは備えをしていて、付録として課題本(三木清『哲学入門』)ではない本からの引用を記したメモを用意していました。これが役に立ちました。このメモは、第3節までを書き終えた後に、びびっと来た本から拾い集めた欠片です。僕自身もその全体としての意味を理解できていない、我田引水してきた文の群れです。これらのお蔭で今回の質問の内、僕がこの「絶対的不幸」についてどう考えているのか?という超弩級の質問に胸をばくばくさせることを未然に防ぐことができました。それどころか、「(何なら一緒に)読んでみませんか?」とダイレクトマーケティングを仕掛けることまでできました(まあこれは美化された記憶で、実際は何かしらに取り憑かれたように語った後、しどろもどろになりながら「ヴェイユやレヴィナスがもっと読まれるのは望ましいことです」という旨をこぼしたのでありますが・・・・)。
とはいえ、何も思うところなしにただはぐらかしたわけではないのです。何と言いますか、ある本や問いを扱うことを何もその読書会1回限りにすることもないよな、ということを自分は思っているのです。この読書会の長所の1つは多様な本を読む機会を得られることだと思いますが、その分、この会単体だけでは読書の経験が散発的になりがちかなとの思いもあります。
そんな中考えるのは、こういうもっと本が読みたいもしくはもっと議論をしてみたいという思いを持つのであれば、読書会を催してしまえばいいのかなということです。何もこれは、長期間に渡って継続する必要はありません。例えば、今回の読書会の質疑応答の時に「パラダイム」という用語が出てきました。質問を受けた僕は、「そういえばパラダイムってよう分からんままこの年まで生きてきてしまったな」と、頭の片隅で思いました。この瞬間です。この瞬間、僕は「パラダイム」について何かしら学ぶことを目的にした2・3回の読書会を催す動機を得ています。やり方も参加者の視点からではありますが見て知ってはいます。分からないことがあれば主催者やここで知り合った人に相談することもできる環境です。
本当にこの読書会はよい環境ですよ。僕はここに元気づけられたと言っても過言ではありません。長くなってきましたのでそろそろ強引に占めることにします。
初めの一歩を踏み出したいと思う画面の前のあなた。意志と時間が許すのであれば本読書会に参加してはみませんか?開催日時は今のところ大体土日のどこかです。Skypeでの参加者はまだあまりいないので増えると(主に僕が)嬉しいです。その後は自分で、自身が気になったことについて読書会を催せばきっと楽しいですよ。
参加の相談は本ノ猪さんか僕のところへ。なお、僕の休日は「月・木曜日」なのでその辺りが狙い目です。
宣伝に着地してしまいましたが、要は「この読書会はめちゃ楽しいし、もっと読書会する人が増えると嬉しいなと思った」という話でした。
追記:後日読み返してみたら明らかに混乱して記述している箇所(第3節「生命」にて「倫理」と「良心」の違いについて議論しているところ)を発見してしまいました。書き直した。もし訂正版が欲しい方は[ゆずとそで]までお願い致します」
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[ゆずとそで]さんは、始めに、『哲学入門』の内容を吟味していく上で必要になる鍵概念(「客観」「主体」「環境」など)について簡潔な定義を示してくれました。この本が「入門なのか?」という疑問符に晒されてしまう一つの原因になっているのは、この鍵概念の複雑さであり、客観・主観・主体という言葉への理解が曖昧になってくるにつれ、本が子守歌に変貌するという現象が発生する。そういった点で、[ゆずとそで]さんが、簡潔な定義を文字化し、分りやすく説明してくださったことは、『哲学入門』を子守歌化させずに読み続ける上で、大変有意義であったと思います。
レジュメ内容&発表で特に印象深かったのは、「不幸」についての議論。
2.「不幸」
本書にてこの用語が登場する箇所は少なく、僅か4箇所(40頁2行目、163頁7行目、200頁2行目、201頁13行目)である。
注目したいのは、40頁2行目に出てくる「不幸」である。この行を含むパラグラフでは、「常識」の「効用」について語られている。以下に全文を引用する。
常識はそれ自身の効用をもっている。常識なしには社会生活は不可能である。常識に対して批判的精神が現れるが、それと共に人間は不幸になり、再び常識が作られ、これによって人間は生活するようになる。けれども常識の長所は同時にその制限である。そこに科学が常識を超えるものとして要求されるのである。(40頁)
ここで「常識」は「社会生活」の前提である。しかし、あるタイミングで「批判的精神」が生じる。だが、この精神が生じると同時に「人間は不幸になり、再び常識がつくられ」ていく。したがって、「批判的精神」とは「不幸」であることを発見してしまう精神でもある。
さて、「再び常識が作られ」るということは、「不幸」とは「常識」が壊れることである。
私達は、共通認識として持っている「常識」に支えられることなしに、通常の生活を送ることはできない。しかし、その「常識」も時間の経過や人々の認識の変化にさらされて、切り崩されることになる。そのときに生じるのが「批判的精神」であり、その精神によって「常識」が改変されることは「不幸」である、と三木は述べているのである。
読書会の参加者全員で「不幸」について考えていると、ある一つのことに気付いた。それは、哲学が一つの概念として定義しようとしている「不幸」と、私たちが日常生活の中で実感としてもっている「不幸」の間に、決して狭いとはいえない「溝」があるということ。おそらく、その「溝」は、例えばある哲学者が「不幸」というものを考えようとしたとき、彼は自身の他の哲学概念との一貫性を保ちながら「不幸」というものの定義を考えていくことになる。つまり自身の「哲学体系」の中に「不幸」というものを落とし込もうと努力する。一方、一般の人は、自身の「不幸」への考え方が、その他の自分の考え方と一致しているかなどはあまり気にすることはない。またその分、厳密な意味で「不幸」という言葉の定義を考える機会もないだろう。以上の点で、哲学における「不幸」と一般の「不幸」の間には「溝」がある。しかし、この「溝」を確認することが、「哲学」に関心をもつ契機となる。その意味でも、今回の『哲学入門』は有意義であった。
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以上、「7月分読書会 活動報告(2)」を終わります。
ご覧頂きありがとうございました。
7月分読書会 活動報告(1)
みなさん、こんにちは、本ノ猪です。
京都は猛暑の日々が続くかと思いきや、突然の突風・大雨、そしてまた猛暑に回帰。
大変居心地の悪い状況が続いています。
7月分読書会も、開催日が7月29日(日)であり、台風の進路状況によっては、中止も考えましたが、何だかんだで当日は雨は降っておらず、むしろ少し風が吹いていて涼しいという感じでした。
無事に開催できたことを、心から喜んでおります。
課題図書の推薦及び投票、読書会への参加など、ご協力頂いた方に感謝いたします。
ありがとうございました。
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今回は「7月分読書会 活動報告(1)」ということで、
今月の課題図書・三木清『哲学入門』(岩波書店、1940年)を推薦してくださった、
K.さん(@kei__sui)のレジュメと感想文を以下に示したいと思います。
感想文↓
「選書した身としては、自分が選んだ本で参加していただけた事がまず嬉しかったです。知識は大事ですが、まずは自分で考えられる範囲から哲学を捉える機会になり、何より参加者の方々の解釈を聞くことが出来て、とても楽しかったです。
ありがとうございました。」
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今回、K.さんは初発表の中、「どこが入門書なんだ?」という参加者全員の思いを代弁してくれる様な形で、一章ごとに腑に落ちた所、分らない所を共有し、参加者全員と考えていけるレジュメ作り&発表をしてくださいました。
読書会中、特に議論になったのは、
・ベルグソンの「閉じた社会」論。
・ゲーテ「生産的なもの、それのみが真理である」の中の「生産的」とは何か。
・動物的衝動と人間的衝動の差異について。
K.さんは6月分読書会ではSkypeでの参加でしたが、今回は実際に開催地(京都某所)に足を運んでくださり、大変有難かったです。
読書会終了後の懇親会においても、興味深い村上春樹論を展開してくださり、
「改めて村上春樹を読まねば」と思いました。
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以上、「7月分読書会 活動報告(1)」を終わります。
ご覧頂きありがとうございました。
7月分読書会について
みなさん、こんにちは、本ノ猪です。
「平成30年7月豪雨」の被害を心配し、お声掛け頂いた方々に感謝します。
亡くなられた方、行方不明の方の数が、時間を経るごとに増えていく現状に、心を暗くする日々です。
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6月分では黒川創『岩場の上から』
と小説が続いたわけですが、
7月分の読書会は久しぶりに哲学書です。
以下に読書会の詳細を示します。
【7月分読書会概要】
・課題図書:三木清『哲学入門 』(岩波書店、1940年初版)
・開催日時:7月29日(日)14:00~17:00
・開催場所:京都市内(未定)
・参加方法:開催場所に直接参加 or Skypeでの参加
(写真は自宅にあった三木清本、左上は『人生論ノート』、右下は『パスカルにおける人間の研究』)
「我々が日々に接触する現実を正しく見ることを教え得ないならば、如何に深遠に見える哲学もすべて空語に等しい。」(2003年版、Pⅱ)
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読書会の参加者随時募集中です!
興味が少しでもある方は「@honnoinosisi555」に連絡お願いします!
以上、「7月分読書会について」でした。
6月分読書会 活動報告(2)
みなさん、こんにちは、本ノ猪です
猛暑だったり、突然雨が降ったり、
面倒くさい天候が続いている京都ですが、
みなさんのお住まいの地域はどうでしょうか?
私は読書に集中できない日がこれからやってくると考えるだけで憂鬱になります。
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今回は「6月分読書会 活動報告(2)」ということで、
ゆずとそでさん(@nanamaru_8810)のレジュメと感想文を掲載します。
今回は諸事情により、レジュメの作成者が少なかった中、担当者ではないのに発表に協力してくださったゆずとそでさんには、感謝してもしきれません。
本当にありがとうございます!
感想文↓
「今回の話の中心は「生活」であったと思われる。みんな未来の「生活」について語って盛り上がっていたように思う。僕から見えた本書の内容は、比喩だらけで、「幽霊」を始めとしたそれらへの言及はちょっとウケが悪かった気がするのだけれど、それらの比喩は徹頭徹尾「生活」に関わるものだったからだ。
話が盛り上がったのは僕やつるばみさんがこの本には「貧乏人」の生活があまり具体的に描かれていないように見えてそれが不満だったという旨の発言をした時だ。本ノ猪さんが応えて、「いや、それは逆に(この本の他の部分が)リアルに書かれているってことなんです」と言ってくれた。たしかに、「生活」がリアルに描かれていなければここが描き足りないとピンポイントで指摘することはできないなと納得して作品への見方が変わった。
他の人の意見を聞くことで自分に見えていなかったものが見えるようになるのはとても爽快な経験で、自分はこの経験をするために読書会に集っている。
他にも、悠々自敵さんが「幽霊」は「忖度」の比喩なんじゃないかという意見を出してくれた。自分も同じようなことを考えていたのだけど、「忖度」ということは考えていなかったので眼から鱗が落ちた。
後は、たぶんk さんだったと思うのだけど、この作品を某首相がAIとなっている作品として読んだということをどこかで言っていた。ここで、シンの父に「妄想」として断じられた某首相のAIとサクラとの「空白の八分間」の対話をみんながどのように思い浮かべたのか質問してみれば面白かったなあと惜しい気持ちでいる。例えば、公邸地下の某首相のAIが、そうでなければお墓あるいは社、もしかしたら大きなポスターか肖像画が鎮座しており、その前にお供え物みたいにモニターが置いてあり音楽が流れている(現首相の大橋が過ごす部屋だったのかもしれない)という話が生まれたかもしれない。後は某首相夫人もAIとなっていたのだろうか?と聞いてみることもできた。
今回は喋り過ぎてしまって取り零してしまったことが多かったように反省する。参加者の一人として、もっと深く話題が花開く場を作っていきたい。
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ゆずとそでさんのレジュメは、一人目の発表者であった本ノ猪さん(拙者)と異なり、「文学作品として分析する」ことが中心となっていて、大変参考になりました。ゆずとそでさんは、文中に現れていた「幽霊」という存在(概念)に注目して、総統=AI=安倍晋三の一般理解に縛られない解釈に挑んでいた。「幽霊」は本書中の卒業論文のくだりなどで登場するものの、単に一つのエピソードとして消費されるものであると思い込み読書をすすめていたため、ゆずとそでさんの指摘には反省させられました。
上記に掲載した感想文の中で、本ノ猪(拙者)は発言した内容が引用されていますが、今思うと冷静さにかけてコメントで恥ずかしい限りです。ゆずとそでさんと同様、「もっと深く話題が花開く場を作っていきたい」と思います。
以上、活動報告(2)を終わります。
今回はレジュメが二種類しかありませんので、
6月分読書会の活動報告はこれにて終了です。
ドタキャンや突然のツイッターブロックなど、
対処しなければならない課題が多くある現状がありますが、
一つひとつ見つめて改善していきたいと思います。
今後ともご協力のほど、よろしくお願いいたします。